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浦和地方裁判所 昭和50年(わ)747号 判決

主文

被告人を無期懲役に処する。

押収してある木製さや一本、同切出小刀一丁、同果物ナイフ一本、同くり小刀一本を没収する。

押収してある婦人用ブーツ一足、同化粧品入れバッグ一個、同木口付手提袋一個、同ビューラー一個、同ハンドクリーム一個、同つけまつげ(二組在中)一個、同アイライナー一個、同浴用ガーゼの袋一個、同シャインリップ一個、同ファンデーション一個、同印鑑(紅色・「甲野」と彫刻してあるもの)一個は、被害者甲野秋子の相続人に還付する。

理由

(被告人の経歴)

被告人は、昭和一九年一月二一日東京都京橋区○○×丁目において、調理師をしていた父甲野太郎、母ハナ子の長男として出生し、一時両親に連れられて朝鮮へ渡ったが、戦後間もなく日本に引き揚げ、昭和二一年一〇月ころ、両親と共に北海道札幌市へ転居し、同地の小学校に入学した。その間、昭和二二年八月妹春子が、昭和二五年一二月弟夏男がそれぞれ出生し、それまで一応順調な生活を送っていたが、そのころから父太郎が花札賭博などの賭事に凝り出し、やがて月々の給料までもそれに費消してしまい、家庭を顧みなくなって、被告人母子の生活が次第に困窮するようになり、昭和二八年三月に妹秋子が生まれた後は、その日の生活にも事欠く状態に至って、母親ハナ子も一家の生計を支える必要に迫られ、幼い子供を家に残して働きに出るようになったため、被告人は、その間しばしば小学校を休んでは、弟や妹の面倒を見たり、時には母親の手助けをして砂利の選別などの作業に出て、得たわずかばかりの金銭で飢えをしのぐこともあった。

被告人が小学校六年生であった昭和三一年二月ころ、被告人一家は再び東京に戻り、被告人は、東京都荒川区立○○小学校に転入して同校を卒業し、その春同区立○○中学校に入学したが、父太郎が生活態度を一向に改めず、苦しい生活が続いたため、幼い弟妹の世話などでまともに右中学校に通うこともできず、昭和三二年春ころからは、工員、新聞配達員、店員などとして働きに出るようになり、やがて不良仲間と付き合うようになって、昭和三三年ころから、窃盗などの犯行を繰り返すに至り、その都度少年院に収容され、ついに、昭和三九年五月二五日東京地方裁判所において、窃盗、業務上過失傷害罪で懲役一年二月に処せられ、更に、昭和四一年五月三〇日横浜地方裁判所において、窃盗、強盗致傷罪等により懲役八年に処せられ、それぞれ刑務所に服役するに至った。

昭和四八年六月二九日福島刑務所を仮出獄した後、自動車学校に通って運転免許を取得し、同年一〇月ころ、都内の建設会社に自動車運転手として働くようになったところ、勤務中に交通事故を起こして胃破裂の傷害を負い、都内足立区の○○○病院に約一か月間入院して手術を受けたが、退院後直ぐ血清肝炎になって、同年一二月一五日ころから翌昭和四九年二月一四日ころまでの間、再びその治療のため同病院に入院した。

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一、一 前記○○○病院に入院していた昭和四九年二月一〇日ころ、外泊許可をもらって同病院を出掛け、前記福島刑務所を出所後に妹甲野秋子(当時二〇年)に買ってもらった普通乗用自動車(ニッサンバイオレット)を運転し、都内足立区○○○町の両親の許へ寄ったり、都内浅草などを乗り回した後、手持金も少なかったこともあり、当時、神奈川県横浜市内でトルコ嬢をしていた右秋子のところへ行って車のガソリン代でも貰おうと考え、同市中区○○町に向い、翌同月一一日午前一時ころ、勤めを終えて店を出て来た右秋子に声を掛け、同女を自己が運転していた右自動車に同乗させて、同市南区○○町×丁目××番地ひふみ荘二階一号室の同女方に赴き、同室四・五畳間で同女と雑談するうち、かつて同女が都内浅草のトルコ風呂に勤めていたころ、従兄の乙山松夫が客として同店を訪れ、同女に肉体関係を迫ったことに腹を立てて、同女がその後、右松夫と絶交状態にあることを思い出し、この際右松夫を許してやるよう同女に申し向けたところ、被告人の話し方が執拗であったことから、同女が立腹し、同女から、「ガソリン代なんかないから帰れ。この馬鹿。」などと言われ、同所にあったプラスチック製の花瓶をいきなり前額部に投げつけられ、そのため被告人が同女の頬を平手で殴打するや、これにいきりたって飛びかかって来た同女ともつれ合い、取っ組み合いの喧嘩になった末、被告人が同女の身体の上に馬乗りになり、その顔面を手拳で数回殴打したところ、更に、同女から、「ろくでなし。やっかい者のくせに、ダニのようなことをするな。」などと罵倒されるに及び、憤激の余り、咄嗟に同女を殺害しようと決意し、同女の上に馬乗りになったまま、その頸部を両手で強く圧迫し、よって間もなく、同所において、同女をして右頸圧迫により窒息死させて殺害した。

二 同月一二日午後一一時過ぎころ、右犯行を隠蔽する目的で、右甲野秋子の死体を右普通乗用自動車の後部トランクに積み、埼玉県越谷市平方八九一番地所在の雑木林内に運び込み、同所に同女の死体を捨てたうえ、同女の顔面をタオルで覆い、その上からブロック片で顔面を数回殴打してこれに多数の挫裂創を生じさせ、もって死体を遺棄、損壊した

三 同月一一日午前六時ころから同月一四日午後五時ころまでの間、前記ひふみ荘甲野秋子方居室において、同女所有の現金約三万円及び別表(一)記載のとおり、普通預金通帳一冊(預金残高八〇三、八三二円)、印鑑(紅色・「甲野」と彫刻してあるもの)一個、カラーテレビ一台など合計約一二一点(時価合計約五八三、〇四〇円相当)を窃取した

四 同月一二日午前一〇時ころ、神奈川県横浜市南区吉野町三丁目七番地横浜信用金庫吉野町支店において、行使の目的で、ほしいままに、ボールペンで、同店備え付けの普通預金払戻請求書用紙一枚の金額欄に「七九九、〇〇〇」、請求者氏名欄に「甲野秋子」とそれぞれ記入し、その名下に前記窃取にかかる「甲野」と彫刻してある印鑑を冒捺し、もって甲野秋子作成名義の普通預金払戻請求書一通を偽造したうえ、これを同店係員山岡教子に対し、真正に成立したもののように装い、前記窃取にかかる普通預金通帳とともに提出して行使し、右金員の払い戻しを請求し、同女をしてその旨誤信させ、よって即時同所において、同店出納係員から、普通預金払い戻し名下に現金七九九、〇〇〇円の交付を受けてこれを騙取した

第二  前記第一記載の犯行後、皮革製品のセールスマンや運輸会社の自動車運転手などとして働いた後、昭和四九年一〇月ころから、東京都足立区内にある○○運輸有限会社に自動車運転手として勤務するようになり、間もなく同会社で運転手として働いていた森下一雄と知り合い、同人と親しく付き合っていたところ、同人から、「他に何かいい商売はないか。」と言われ、被告人もかねてから、事業資金が得られたら、倒産会社などから商品を低廉な価格で仕入れ、これを他に転売して利益を得る俗に「バッタ屋」という仕事に従事しようと考えていたことから、同人にこれを持ち掛け、同年一二月中旬ころ、同人から共同事業の資金として現金約四八万円の交付を受けたが、これを元手にギャンブルをし、共同資金の自己負担分を捻出しようと考え、かねてパチンコ仲間として付き合っていた小林某と示し合わせて競艇場等に行き、ギャンブルをしたものの、予想が外れて右森下から受領していた金員の過半を費消してしまったため、バッタ屋を始めることもできず、そのうち、被告人の行動に不審を抱いた右森下から、同人が交付した右金員の返還を執拗に迫られ、「俺を騙しているんじゃないだろうな。嘘なら金を返してくれ。返さないなら警察にでも、どこにでも行く。」などと言われるに及び、もし同人が警察に届け出るようなことがあれば、前記妹殺害の件が発覚するのではないかと恐れ、同月二〇日過ぎころ、同都北区○○○×丁目×番×号所在の喫茶店「アイウ」等において、小林某に対し、右森下から金員の返還を迫られている旨を打ち明けて相談したところ、小林某から、森下を殺害してしまおうと言われ、被告人も森下からの追及を免れるためには同人を殺害するほかないと考え、右小林某と共謀のうえ、

一  同月二二日、都内のレンタカー会社から普通乗用自動車(トヨペットコロナ・二ドア)を借り受け、同月二三日午後七時ころ、「買った品物を取りに行く。」などと偽って右森下一雄(当時二三年)を誘い出し、都内綾瀬駅前から被告人運転の右自動車に右小林某及び森下を乗車させて千葉方面に向けて出発し、同月二四日午前二時ころ、千葉県安房郡和田町花園字木花一八六番地先空地に至り、同所に右自動車を停車させ、車外に出たところ、右小林某から、「ここでやるから、ひきてんをたのむ。」と言われ、被告人において、同空地北西側道路上で、同空地内の様子を窺いながら見張りをし、右小林某において、同空地南側で、小便をし終った右森下に対し、所携のくり小刀(昭和五一年押第一二四号の二六はその木製さや)で右森下の胸部を数回突き刺し、よって即時同所において、同人をして心臓刺切創による失血のため死亡させて殺害し、右現金約四八万円の返還を免れて同金額相当の財産上不法の利益を得た

二  同日午前六時三〇分ころ、右犯行を隠蔽する目的で、右森下一雄の死体を右普通乗用自動車の後部トランクに積み、同県八千代市米本字役山二四三六番地の一六所在の山林内に運び込み、被告人及び右小林某において、同所に穴を掘って右森下の死体を同所に埋没し、もって死体を遺棄した

第三  前記小林某と共謀のうえ、昭和四九年一二月二四日午前九時三〇分ころから昭和五〇年一月一〇日ころまでの間、東京都葛飾区○○×丁目××番×号いろは荘一階一号室の前記森下一雄方居室において、同人所有の現金約八、四〇〇円及び別表(二)記載のとおり、テレビ二台、カメラ一台など合計約二一四点(時価合計約八〇六、七〇〇円相当)を窃取した。

第四  前記第二、第三記載の犯行後、逃走資金を得るため、群馬県太田市に住むバッタ屋田原昌和(当時二二年)及び森昇(当時二三年)の両名から金員を強取しようと企て、前記小林某と共謀のうえ、昭和五〇年一月一四日午後八時ころ、「名古屋の方で、ダンヒルの高級ライターが安く買える。」などと偽って、右田原及び森の両名を都内荒川区西日暮里のスナック喫茶「イチ」に誘い出し、同所から右森運転で右田原が助手席に同乗している普通乗用自動車(ニッサンブルーバードU・群馬五五る二一五一号)の後部座席に、右小林某と共に乗り込み、愛知方面に向けて出発し、同月一五日午前三時三〇分ころ、愛知県海部郡美和町大字木田字西新五領三九番地の一所在の空地において、右森をして右自動車を停車させ、同自動車内において、やにわに、その後部座席から、被告人において、助手席の田原の背部、頸部等を所携の切出小刀で、右小林某において、運転席の森の頭部、頸部等を所携のくり小刀または果物ナイフでそれぞれ切りつけ、或は突き刺し、交々、右田原及び森に対し、「金を出せ。おとなしくしろ。」「静かにしろ。この野郎金を出せ。」などと申し向け、更に、右小林某において、田原の大腿部を右刃物で突き刺すなどの暴行脅迫を加えて右田原らの反抗を抑圧したうえ、右小林某において、田原の上着内ポケット内から現金約八七万円在中の財布一個(時価約七〇〇円相当)を抜き取って強取したが、その際、右田原に対し入院加療約一か月間を要する頭、顔面、頸、背部、右大腿部等刺切創の、右森に対し入院加療約一〇日間を要する頭、頸部等刺切創の各傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)《省略》

(累犯前科)

被告人は、昭和四一年五月三〇日横浜地方裁判所で窃盗、住居侵入、強盗致傷、有印私文書偽造、同行使、詐欺、窃盗未遂罪により懲役八年に処せられ、昭和四九年五月二九日右刑の執行を受け終ったものであって、右事実は検察事務官作成の昭和五〇年六月五日付前科調書及び判決謄本によってこれを認める。

(法令の適用)

被告人の判示第一の一の所為は刑法一九九条に、判示第一の二の所為は包括して同法一九〇条に、判示第一の三の所為は包括して同法二三五条に、判示第一の四の所為中、有印私文書偽造の点は同法一五九条一項に、同行使の点は同法一六一条一項、一五九条一項に、詐欺の点は同法二四六条一項に、判示第二の一の所為は同法六〇条、二四〇条後段に、判示第二の二の所為は同法六〇条、一九〇条に、判示第三の所為は包括して同法六〇条、二三五条に、判示第四の各所為は同法六〇条、二四〇条前段にそれぞれ該当するところ、判示第一の四の有印私文書偽造とその行使と詐欺との間には順次手段結果の関係があるので、同法五四条一項後段、一〇条により一罪として最も重い詐欺罪の刑(ただし、短期は偽造有印私文書行使罪の刑のそれによる。)で処断することとし、後記量刑の理由で述べる情状により、判示第一の一、第四の各罪につきいずれも所定刑中有期懲役刑を、判示第二の一の罪につき所定刑中無期懲役刑をそれぞれ選択し、判示第二の二、第三、第四の各罪は前記前科との関係で再犯であるから、同法五六条一項、五七条により(ただし、判示第四の罪については同法一四条の制限内で)それぞれ再犯の加重をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるが、判示第二の一の罪につき無期懲役に処する場合であるから、同法四六条二項本文により他の刑を科さず、押収してある木製さや一本は判示第二の一の犯行の用に、同切出小刀一丁、同果物ナイフ一本、同くり小刀一本は判示第四の犯行の用にそれぞれ供した物で犯人以外の者に属しないから、同法一九条一項二号、二項によりいずれもこれを没収し、押収してある婦人用ブーツ一足、同化粧品入れバッグ一個、同木口付手提袋一個、同ビューラー一個、同ハンドクリーム一個、同つけまつげ(二組在中)一個、同アイライナー一個、同浴用ガーゼの袋一個、同シャインリップ一個、同ファンデーション一個、同印鑑(紅色・「甲野」と彫刻してあるもの)一個は判示第一の三の罪の各賍物で被害者に還付すべき理由が明らかであるから、刑事訴訟法三四七条一項によりいずれもこれを被害者甲野秋子の相続人に還付することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して被告人にこれを負担させないこととする。

(量刑の理由)

被告人は、中学生のころから非行を重ね、少年院や刑務所に幾度となく収容され、その都度更生の機会を与えられながら、前刑仮出獄後わずか七か月余りにして判示第一の犯行に及び、その後約一年足らずの間に、本件森下一雄に対する強盗殺人、田原昌和、森昇の両名に対する強盗致傷を順次犯したものであり、各犯行の態様はいずれも悪質で、その結果は極めて重大であり、かつ、これらの犯行によって示された被告人の反社会的性格は顕著であって、その刑事責任はまことに重大と言わざるを得ない。

そこで、本件各犯行につき検討するに、先ず、判示第一の甲野秋子に対する殺人は、前刑仮出獄期間中の犯行であり、被告人の不用意な言動に端を発して、被害者秋子と兄妹喧嘩の末、激情の赴くままに短絡的に秋子を殺害したものであり、あまつさえ、主たる動機は犯跡を隠蔽する目的であったとは言え、秋子殺害後、その死体を遺棄するにあたり、ブロック片で殴打して死体の顔面を潰し、被害者名義の預金を払い戻したうえ、その家財道具をことごとく処分したばかりか、秋子の消息を気遣う両親等に対しては、その都度、被害者を街で見かけたなどと虚偽の事実を申し向け、被害者が現に元気で生存しているかのように装い、何食わぬ顔をして両親の許で生活するなど、犯情まことに悪質なものがある。加えて、被害者秋子は、貧困から抜け出したい一心で、トルコ嬢に身を落してはいたものの、金をためて将来スナックなどの店を持ち、自立して両親の面倒を見て行こうと秘かに希望を抱いていたものであり、兄である被告人の凶行によって、一瞬のうちに若い生命を奪われた無念さは察するに余りあるものと言える。次に、森下一雄に対する強盗殺人の件は、確たる見通しもないまま、被害者森下にバッタ屋の開業を持ち掛け、被害者が自己を信用しきっていることを奇貨として、被害者から、半ば騙し取るような形で金員を受領し、これを元手に小林某とギャンブルで自己資金を得ようと企てたが、その過半を費消してしまい、やがて不審に思った被害者から、金員の返済を迫られるや、警察に申告されて前記秋子殺害の件が発覚することを恐れるあまり、小林某と共謀し、予め凶器や死体遺棄のためのスコップ等を準備し、虚言を弄して右森下一雄を誘い出したうえ、殺害したものであって、その態様は計画的でかつ極めて残虐であり、犯行後、秋子殺害の場合と同様、被害者森下の家財道具を総て処分し、徹底した犯行隠蔽工作に出ていることなどを併せ考えると、本件各犯行中、最も悪質な犯行と言わなければならない。また、何の落度もなく、被告人を信用したばかりに、その背信行為によって、二三歳の若い生命を奪われ、将来ある人生に別れを告げることを余儀なくされた被害者やその遺族の心情に思いを致すとき、当裁判所としても同情を禁じ得ず、遺族の一人が、当公判廷において、強い憤りの念を表明し、被告人に対して極刑を望んだことも、また無理からぬものと言える。更に被害者田原昌和及び森昇に対する強盗致傷の件も、逃走資金を得る目的で、小林某と共謀し、それぞれ凶器を買い求めて準備したうえ、言葉巧みに被害者らを誘い出し、小林某共々被害者らに切り付けて所持金を強取したものであって、その態様は大胆かつ計画的であり、現在なお、右傷害による後遺症のため、各被害者は、生活上重大な支障を来していることが認められるなど、その犯情はまことに悪質である。しかも、いずれも、各被害者及びその遺族に対して、被告人側から慰謝の方法が全く講じられておらず、また、本件一連の犯行によって示された被告人の反規範的性格、犯罪に対する反覆累行性は顕著なものがあり、各被害者やその遺族のみならず社会一般に及ぼした影響もまた重大であって、これらの点に鑑みるときは、検察官主張の如く、被告人に対して極刑を科することもあながち不当なものとも言えない。

しかしながら、一方、本件秋子殺害の件については、被告人はその直前まで、秋子を殺害するなど予想だにしておらず、弟妹の中では、妹秋子に最も愛着を感じていたものであり、被告人自身の不用意な言動に端を発したとは言え、被害者も極めて勝気な性格で、被告人に対し、先に花瓶を投げつけ、口汚く被告人を罵るなど、被告人の感情を全く無視した言動に出ており、これが被告人に殺意を生じさせる直接の切っ掛けになったこと、被害者秋子の死体に対する損壊行為も、当初から意図していたものではなく、死体遺棄場所を捜し回るうち、警察のパトロールカーに出会い、自己の犯行の発覚を恐れ、死体遺棄を急ぐあまり、偶々躓いたブロック片を拾い、これで顔面を殴打して死体を損壊するに至ったものであること、森下殺害の件については、犯意の発生過程、その謀議内容、実行に至る経緯等をつぶさに検討すると、殺意の形成及び殺害の手段、方法等に関して主導的な役割を果したのは小林某とみられ、殺害現場においても、被告人は見張り行為を分担して直接手を下してはおらず、共犯者小林某に比して、寧ろ従たる立場にあったとみられること、田原、森に対する強盗致傷の件についても、被害者田原の様子を見て憐憫の情にかられ、すでに抵抗力を失った同人に対し、なおも、小林某が執拗な刺傷行為に及ぼうとするのを制止していることなどが認められること、また、被告人は、幼少のころから家庭環境に恵まれず、賭事に耽り家庭を顧みない父親の、自堕落な生活態度によってもたらされた貧困の中で育ち、子供心に母親の置かれた苦しい立場をよく理解してこれに協力し、母親に対して不服を言うこともなく、小学校を休んでは、働きに出る母親の代りに妹秋子をはじめ弟妹の面倒を見、幼少時代の困難な生活によく耐えていたところ、被告人の両親は日々の生活に追われていたためか、全くと言ってよい程、子供の躾や教育には無関心であって、ある時など、母親は、極貧生活に耐えかね、一家心中を思い立って被告人に睡眠薬を買いにやらせたり、口減らしのために、増水した川に幼い妹秋子を突き落すよう、当時一一歳の被告人に言いつけたこともあり、これらは薬局の主人や被告人の機転で、いずれも事無きを得たものの、生活に窮したとは言え、親の軽卒不用意な行動が被告人の幼い心を傷付け、これに衝撃を与えたことは想像に難くなく、その後、中学校に進学して間もなく町工場に働きに出されるなど、被告人の弁護人宛の上申書や証人甲野ハナ子の証言中で語られている被告人の生い立ちの悲惨さは、言語に絶するものがあり、物事に対する批判能力や人格形成が未だ不十分な時期にあって、被告人が置かれていた生活環境は、被告人にとってその徳性を育む場ではあり得ず、そのうち不良仲間と付き合うようになって、非行を重ねるに至り、ついには本件一連の犯行を犯すに至ったものであって、右のような生い立ちの上での不良環境が、被告人の人格形成に与えた影響は測り知れないものがあると思われること、被告人は、本件逮捕後、自己の犯した罪の重大性に気付き、これらを深く反省悔悟するとともに、捜査機関に対して素直に各犯行を自供し、当公判廷においても、終始変らぬ真摯な態度で供述していること、被害者やその遺族に対しては、心の底から謝罪の意を表し、亡くなった各被害者のために、毎日般若心経を唱え、その冥福を祈るなど改悛の情も極めて顕著であることなどが認められ、これらの点を考慮すると、被告人が本件一連の犯行によって示した反社会的性格も、相当な矯正教育を施すことにより、その矯正が必ずしも不可能ではないと認められる。

以上の諸事情を総合して判断すると、被告人の本件各犯行によってもたらされた結果の重大性は、これを決して無視する訳には行かないが、漸く、長年にわたって失われていた人間性を取り戻し、現在心から深く反省悔悟している被告人に対し、今、その生命を捧げて罪の償いをさせるより、被告人を無期懲役に服させたうえ、今後、亡くなった各被害者の冥福を祈らせつつ、矯正教育を施し、贖罪更生の余地を与える方が、量刑上より妥当であると思料する次第である。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 宇佐美初男 裁判官 塩谷雄 吉田恭弘)

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